しかし現在、日本の清酒は醸造技術の方面も、清酒の発展の方面もすべて中国より良い。清酒は日本でとても人気があるが、醸造酒は中国であまり人気がない。どうして我が国で起源したのに、それが他の国で大幅に発展したのか、と私達は考えるべきである。
第一章 日本の清酒と中国の醸造酒の起源について
1.1 日本の清酒の起源
 日本に酒が存在することを示す最古の記録は、西暦1世紀頃に成立した中国の思想書、 『論衡』の記述に見られる。
 「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八) 成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず。
 「周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶」(儒増篇第二六) 周の時、天下太平、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢す。白雉を食し鬯草を服用するも、凶を除くあたわず。
鬯草とは、酒に浸して作製した薬草のことであり、周の成王の時代(紀元前1000年頃)に日本列島内の何処かの国に何らかの酒類が存在した可能性を示唆している。 3世紀に成立した 『三国志』 東夷伝倭人条(いわゆる魏志倭人伝)の記述にも酒に関する記述が見られる。同書は倭人のことを「人性嗜酒(さけをたしなむ)」と評しており、喪に当たっては 弔問客が「歌舞飲酒」をする風習があることも述べている。ただ、この酒が具体的に何を原料とし、またどのような方法で醸造したものなのかまでは、この記述からうかがい知ることはできない。ちなみに、酒と宗教が深く関わっていたことを示すこの『三国志』の記述は、酒造りが 巫女(みこ)の仕事であったことをうかがわせる一つの根拠となっている。
  『播磨国風土記』には「清酒(すみさけ)」というものに関する記事もある。これを現在の清酒(せいしゅ)の初見とみなす説があるが、議論の分かれるところである。
古代の酒は、 出雲や 博多に現在も残る 練酒(ねりざけ)のようにペースト状でねっとりとしたものが標準的であったようである。現在でも、皇室における 新嘗祭(にいなめさい)では、古代の製法で醸造した白酒(しろき)、黒酒(くろき)という二種類の酒が供えられる。黒酒とは、白濁した白酒に、久佐木と呼ばれる草を蒸し焼きにし、その灰をまぜこんで黒くした酒である。これは、黒みがかった 古代米で造った古代の酒の色を伝承していくための工夫の結果であろうと考えられている。
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