日本の歴史を髪型という面から見ると、その時代の風俗、文化の特色を表しているように思われる。今では、いろいろの技術の発展によって、髪型は自由になった。そこで日本人の文化はどのように発展し、完成したか、主に平安時代と江戸時代を中心として、その変化の跡を辿り、そのに見られる日本人の心と美意識の特質を探って見たいと思う。

2 日本の女性の髪型の変遷

 平安時代から江戸の初期の代表の髪型は垂髪である。十二単の着物を着て、黒くて長い髪は腰まで伸びていて、優雅な女性の姿が頭に浮かんでくるでしょう。そのような髪型は垂髪という髪型である。飾りたてることなく、自然のままの状態を髪型に現れている。でも、額髪の下がったのを左右の耳の後ろにかきっやて挟むのは「耳挟み」という仕草で、嗜みのないとされていた。このような髪型は江戸時代の初期までずっと踏襲されていた。女性の垂髪の他、少年少女は尼削ぎという髪型を持っている。

江戸時代の代表髪型は日本髪である。江戸時代には、経済の実権は町人に移り、艶麗ともいわられる江戸文化は華ひらいた。垂髪の煩わしさから解放するために、江戸時代には唐輪髷は開発され、「兵庫髷」や「島田髷」と他のいろいろな髪型は工夫された。男女合わせて、約三百種類の髪型が生まれた。現代では、その一部の髪型が儀式や伝統芸能などの非日常的分野に伝承されている。

明治時代以来は洋風化である。明治維新で、日本は政治、経済と文化の方面でいろんな変革は行われた。そのうち、女性の髪型も西洋の髪型を真似して、束髪や夜会巻き、耳隠しなどの髪型が生じた。その時、鹿鳴館では舞踏会とか皇族や上流婦人の慈善バザーとか催しは行われた。あそこで束髪と夜会巻きが広がっていた。また、大正時代に、当時の最先端であるパーマネントを導入した大正女性の憧れの耳隠しという髪型である。その作り方は前髪を七、三に分けて、サイドに流し、熱したコテを上下交互に髪に挟んで、大きなウェーブをつける。サイドの髪を耳を隠すようにゆったりと後ろでまとめて、ごく低い位置にシニヨンを作って完成できる。

昭和時代戦後以来、日本髪文化は歌舞伎、時代劇、花柳界、結婚産業以外では殆ど衰退したが、現行も正月、成人式、七五三、お茶会等の晴れ着には 「新日本髪」として髪型は受け継がれている。

3 垂髪とそれの美意識

3.1美人の証:長く伸びる黒髪 

紫式部が書いて、なまめかしい女性たちが多く登場する『源氏物語』の中で、末摘花と言う女性は、文才に乏しく、ルックスも冴えなかったそうである。しかし、美しい黒髪だけは抜群で、光源氏が彼女に惚れたとか。抜け毛をかつらにする時に、9尺あまり(270センチ)もあったと言うことである。平安時代の美人像は、肌理の細かい色白の肌で、小太りで、顔形はしもぶくれ気で、あご先は丸く、引目と呼ばれる細い象眼が尊ばれた。頭髪は長くしかも水分の多くてしなやかな髪の毛が美人の条件とされている。髪の毛は長ければ長いほどいいである。清少納言も『枕草子』のなかで、髪の長い人を「うらやましげなるもの」としてあげている。髪長美人として有名な藤原芳子は牛車に乗っても垂れる髪の先は、母屋の柱にまで達したと言われている。また、十二単はこの長い黒髪を引き立てるために生まれたと考えられる。

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