『白氏文集』巻十四にある。

 「三時雲冷多飛雪、二月山寒少有春」(三時雲冷やかにして多く雪を飛ばし、二月山寒うして春有ること少なし)

 この訳は、春夏秋の三時も雲は冷え冷えとして、雪を舞わせることが多く、二月になっても山は寒々として、春らしい季節は短い。

 作者は公任の下の句は、末の三字「少有春」を取って下の句を作られていた。公任の下の句の出典が『白氏文集』であることを見破り、同詩を踏まえて上の句を付けて即座に返し、一首の完成した和歌を作り上げた手腕は高く評価され、作者の学識と機知は殿上の評判となった。作者はひとり悩みながら返事をし、評判を気にする一方、悪ければ聞きたくないと思うなど、純真さの中に気の強い一面があらわれている人物と思われる。

 『枕草子』にはまた、次のようなエピソードも登場する。

 「雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、炭びつに火おこして、物語などして集まりさぶらうに、『少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。』と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も『さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この官の人にはさべきなめり。』と言ふ。 」 

 中宮定子が、せっかくの雪景色なのに格子を閉め切ってしまっていることを遠回しに注意し、清少納言もその意図を的確に察したのだ。ふたりとも白楽天の漢詩についての素養が身についていたわけだ。清少納言は白楽天が詠んだある漢詩のなかのフレーズ「香炉峰雪撥簾看」をとっさに思い浮かべ、同僚に格子をあげさせたうえで、御簾を高くあげた、というのである。

 「香炉峰の雪」は白楽天の「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」(香炉峰下 新たに山居を卜し草堂初めて成り 偶東壁に題す)の第二句「遺愛寺鐘欹枕聴 香炉峰雪撥簾看」(遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き 香炉峰の雪は簾を撥げて看る)。

 『源氏物語』第四十七帖「総角」にもある。

 「雪のかきくらし降る日、終日にながめ暮らして、 世の人のすさまじきことに言ふなる師走の月夜の、曇りなくさし出でたるを、 簾巻き上げて見たまへば、向かひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬと、 かすかなる響を聞きて、『おくれじと空ゆく月を慕ふかな つひに住むべきこの世ならねば』」。

 その句、白楽天は「心泰身寧是帰処」(心やすく 身やすきは これ きするところ)の新居と「日高睡足猶慵起」(ひ高く眠りたるも なお おくるに ものうし)の悠々自適な生活を表示したために創造した。白楽天の詩によると、若い頃に人並みの出世欲から都会に出て、俗世の生活を続けてきたが、そんな生活に嫌気がさし、香炉峰の麓に草堂(粗末な家)をたてて隠居している。そこは人家もなく、猿が出たり野鳥が集まってくるような所で、文明とは無縁だが満ち足りた生活である。たっだ、『源氏物語』には、薫中納言を出家を望んで、仏を憧れるの心を象徴している。来*自-优=尔,论:文+网www.chuibin.com

 白楽天の作品の中もとも影響があるのは「長恨歌」である。特に、平安時代の不朽名作『源氏物語』である。当時の日本では、詩人たちではなく、『源氏物語』の作者紫式部も白楽天の詩に精通している。彼女の作品に白楽天の詩を引用、学ぶことも、彼女学識が広いの象徴になる。『源氏物語』の筋に対する影響も全面的である。ストーリーから見ると、「桐壺」の「寵愛」(帝)→死別(桐壺が嫉妬され、病死)→哀傷(帝、桐壺の死を悲しむ)→未練(帝、桐壺の面影を思わせる蓬壷を慕う)の構成は「長恨歌」の「寵愛」(玄宗帝)→死別(楊貴妃が嫉妬され、賜死)→哀傷(玄宗帝、楊貴妃の死を悲しむ)→未練(使者を遣わし蓬莱島へ楊貴妃の魂を探す)。その構成だいたい同じだ。

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